光耀寺について
光耀寺縁起
名称:白毫山 光耀寺
創立
天保十二年(一八四二)八月二十八日、妙法庵として創立。
改称
昭和十七年三月十二日、妙法庵より日蓮宗光耀寺と改称する。
光耀寺歴代
開基 | 伊藤妙秀 |
開山 | 龍妙院日寛比丘尼 |
二世 | 智浄院日通聖尼 |
三世 | 妙珠院日深法尼 |
四世 | 妙智院日境法尼 |
五世 | 妙諦院日寛法尼 |
加歴六世 | 宗憲院日忍法尼 |
現住職七世 | 大原廣昭 |
当寺は、中村区妙行寺の末寺にて、当代住職以前までは代々尼僧が住持する事とされていた寺院である。
この地は、往昔、千年新田と称され、干拓により開発されたところである。昔三ヶ浦川に巨岩があって、暗夜霊光を放って、村民に悉く恐れをなした。その不思議を鎮めんと巨岩を引き上げたところ今の地より一寸も動かなくなった。よって法華経を読誦し唱題の功力によって妖の光を鎮めた。以後この地に「不思議の霊岩」として村民相集い崇敬されていた。そこでいつのころか玄題目を浄書彫刻して、妙法宝塔と称し、人々の信仰の基盤となった。
ある年、一説には天保年間と伝えるが、大干ばつになった。近郷の住民が相集い、この岩に雨乞いの祈願を重ねたところ、大雨が降り注ぎ、万物蘇生の霊験があった。当時の尾張藩主よりの感謝の意と褒美を頂戴したとの記録がある。
それ以後、諸願成就・悉病平癒。一家一族繁栄の祈願を為すもの後を絶たず、妙法の功徳力に帰依するものが日ごとに増加した。
天保十二年(一八四一)八月、帰依者信徒が集まって一宇を建立した。霊岩への信仰はさらに増し、明治初期に至ると深見浄園法尼は堂宇を増築し、妙法庵と称した。その後、四世妙智院の代、昭和十七年三月に「光耀寺」の寺号公称を認可された。
ところが、昭和十九年に太平洋戦争のため当時は強制疎開を命ぜられ、堂宇取り壊しとなってしまった。終戦後、五世鬼頭浄眼法尼の代、昭和二十四年五月に現在の本堂を復興し今日に至っている。
主な什物
一塔両尊
京都本山立本寺の古来伝寺佛で、二百年以上前の作と伝承される。
明治三十二年十月十五日当寺に安置される。
四菩薩
元京都本山立本寺蔵。朝廷御用仏師、川上作(年代不詳)と伝えられる。
宗祖木造
天保九年作
誕生佛立像
円空作
その他の什物
四菩薩
元京都本山立本寺蔵。朝廷御用仏師、川上作(年代不詳)と伝えられる。
四天王
四天王は三百年以上前作、
宗祖木造
天保九年作
お題目寶塔
不思議の霊岩寶塔
釈迦誕生佛
京都本山立本寺二十世日審上人の代。
上人が安産祈念のため法華経二十八品にあやかり、二十八体造ったうちの一体。
月 | 年間行事 |
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1月 | 新年祝祷会 新年に当たりご先祖様へのご挨拶新年追善供養法要と年中無難のご祈祷 |
2月 | 節分会 節分法要を営み、地域の子供たちと共に「豆まき」をします |
4月 | 永代祠堂法要 祠堂供養とご先祖様追善施餓鬼法要を勤修します |
7月 | お盆施餓鬼 盂蘭盆施餓鬼法要を勤修します |
9月 | 彼岸会 毎年彼岸中日に彼岸会法要を勤修します |
11月 | お会式 宗祖日蓮大聖人の御命日法要「お会式」を聲明法要として勤修します |
住職について
ごあいさつ
はじめまして。光耀寺住職の大原廣昭でございます。
本来お寺は敷居の高いものではなく、みなさまが和気あいあいと集まり、安らげるところであることが大切です。そして、お悩みなどを気軽にお話しに来られる場所でした。光耀寺では入りやすいお寺、地域のみなさまに安心していただけるお寺を目指しております。また、日蓮宗の正しい信仰を分かりやすくお伝えしたいと思っています。今あなたが悩んでいることはお坊さんに尋ねれば、「なんだ、そんな事だったのか」と言う事が意外とあるものです。小さなお悩みでも構いません。是非、当ページよりご連絡ください。
住職プロフィール
昭和35年 | 12月22日生まれ 在家に生まれたが、父母の信仰篤く、その信仰心を受け継ぐべく昭和54年奈良県青蓮院寂爾山常照寺住職小林日乗上人を師僧と仰ぎ出家得度する。 |
昭和54年 | 僧侶の基本を習得すべく、日蓮宗総本山「身延山久遠寺」に随身。同時に身延山大学へ進学。 |
昭和56年 | 「日蓮宗信行道場」を終了し、権僧都に任命される。のち平成20年に権僧正を拝命。 |
以後 | |
昭和58年 | 「日蓮宗布教院」修了 |
昭和59年 | 「日蓮宗聲明師」に任命。 |
昭和62年 | 「日蓮宗布教研修所」に入所。 |
昭和63年 | 「日蓮宗布教研修所」書記に任命。 |
昭和64年 | 「日蓮宗信行道場」主事に任命。 |
平成2年 | 「日蓮宗布教研修所」副主任を拝命 |
平成5年~7年 | 日蓮宗人権対策室室員。 |
平成7年 | 名古屋市「光耀寺」の次期住職として招請され、現在の「光耀寺」に籍を移す。 |
平成12年 | 「日蓮宗布教専修師」任命。 |
平成15年 | 「日蓮宗聲明師養成講習所」助講師を拝命。 |
平成16年 | 「日蓮宗布教研修所」主任。 |
平成29年 | 「日蓮宗聲明師会連合会」講師に就任。 |
令和3年 | 「日蓮上人御降誕800年宗門法要」出仕僧に選任 |
日蓮宗以外の活動
平成7年 | 京都・「雅楽音輪会」結成スタッフ就任 |
平成8年 | 京都・「雅楽音輪会」会計監査に就任 |
平成10年 | 京都・「雅楽音輪会」財務部長に就任 |
平成13年 | 日蓮宗国際交流推進団「雅楽音輪会」団員としてチェコプラハ・スメタナホール 「日本文化フェスティバル」に出演 |
平成14年 | 国際交流推進団「雅楽音輪会」団員としてオーストラリア・シドニー・オペラハウス 「日本文化フェスティバル」に出演 |
平成15年 | 大阪松竹座「創作舞踊 彩の会 浮舟」舞楽出演 京都・平野神社「中秋の名月祭」にて雅楽奉納 島根県「隠岐乃国伝統芸術祭」に「雅楽音輪会」参加・ゲスト出演 |
平成16年 | 国際交流推進団「雅楽音輪会」団員としてアメリカ・フィラデルフィア美術館 「日米交流百五十周年記念祭典」に出演 京都府立乙訓高校にて雅楽教室 国際交流推進団「雅楽音輪会」団員として、インドブッダガヤ 「ズイホウ小学校開校記念式典」に出仕 |
平成17年 | 国際交流推進団「雅楽音輪会」団員としてインド・ニューデリー「インド日本月間」 日本大使館公邸・シュリラムセンターにて舞楽演奏 |
平成18年 | 国際交流推進団「雅楽音輪会」団員としてカナダ(ケベック・トロント)にて舞楽演奏 大阪松竹座公演「聲明と舞楽」に出演 |
平成19年 | 国際交流推進団「雅楽音輪会」団員としてドイツ(ボッホム・ボン)にて舞楽演奏 |
平成20年 | 京都・「雅楽音輪会」副会長に就任 |
寺院概要
寺院名 | 白毫山 光耀寺(びゃくごうさん こうようじ) |
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宗派 | 日蓮宗 |
住職名 | 大原廣昭 |
住所 | 〒456-0054 愛知県名古屋市熱田区千年1丁目18−16 |
アクセス | 県立熱田高校の直ぐ南側「南一番町」交差点から東へ2軒目 地下鉄からの乗り換えの場合 名城線『伝馬町』駅下車「伝馬町」乗り場から多加良浦行バスに乗り、千年一丁目で下車、徒歩5分 市バスの場合 市営バス:金山25系統「南一番町」バス停より徒歩1分 | お車の場合
電話番号 | 052-653-5917 |
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